Trans Eurasia Express since 2002

 
is a quarterly articles series, now kindly hosted by H.I.S. London (until No.49 by H.I.S. Touristik Deutschland GmbH) on interesting trains and other means of transportation in Europe, Asia and other corners of the world, with technical, historical and cultural interests. All photographs, sounds and videos are taken by the author unless otherwise expressly mentioned.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
67. サハリン2018 — 樺太に渡ったD51

Japanese Steam Locomotive Series D51 in Sakhalin
今回の取材地: ロシア 日本 台湾


スモーク・デフレクター(除煙板)には巨大なロシア国旗と、「ロシア
鉄道公開株式会社の関連会社・サハリン鉄道」と大書されている。
Series D51 steam locomotive is the most manufactured (1,115 units) locomotive series in Japan
where distributed power system such as electric train or diesel train have become main stream.

今号は樺太(現・サハリン)に残る日本の名蒸機・D51を取り上げ、併せて州都ユジノサハリンスク(「南サハリン」の意、旧・豊原)の乗物情景と日本関連の史跡もご紹介する。尚、史実や数字に関してはWikipediaの情報のみに依拠し、それ以上の検証は行っていない。



津和野で折り返しを待つD51 200牽引のやまぐち号。初代やまぐち号は戦前の特別
急行「富士」の本物の展望車マイテ49を連結していたが、3代目はレプリカ(右
上)が列車端に輝き、僅かな追加料金で利用できる。恵まれた時代になったものだ。
D51 200, owned by JR West, is one of the two D51s in Japan, preserved in operational condition.

デゴイチ(デコイチとも)の愛称で親しまれたD51形蒸気機関車は主に貨物機として設計された為、速度よりもトルクや粘着力を重視して中径(∅1.4m)の動輪が4軸並ぶ。多数の動輪を複雑なロッドが駆動するD51やドイツの44や45等の大型貨物機には、大径動輪3軸の急行機(日本のC62やC57 、ドイツの01等)とは別のメカニックな美しさがある。ドイツの蒸気機関車の動輪が放射状のスポーク式なのに対してD51等昭和のSLの動輪はボックス式で、日本国内仕様が黒一色な点も相俟ってメカ美に精悍さが加わっていた。



“D" stands for four driving wheels. D51 was designed mainly for freight trains, but due to
its large number of production D51 has become the symbol of the steam locomotives in Japan.

D51の設計主任、島秀雄氏は日本の中・長距離列車の電車化の礎となった80系、初の特急電車151系、更には東海道新幹線計画の立案にまで携わったという。鉄道技術の進歩が速いというのか、東海道新幹線も大昔の話になったというのか、その両者なのだろう。ちなみに島家は技術者の家系で、岳父も鉄道技術者、弟・文雄氏は初の国産旅客機YS11の、また次男・隆氏は初代東海道新幹線0系の、設計にそれぞれ参画した。島隆氏は日本の新幹線を最初に輸入してくれた台湾高鐵の顧問もされたが、既に700系の時代になっていた。僅か二世代の間にD51から新幹線700系の世に変わった事になる。



彰化で動態保存される台湾版D51。小さな前照灯とカウキャッチャーが目を惹く。
DT668 is one of the 37 D51s exported to Taiwan, and the only one which is still operational.

国鉄時代のD51最大保有数1115両(私鉄向けや輸出も含めると1,184両)は日本の機関車では最多記録だ。日本では電車や気動車等の動力分散方式が主流になった為、D51は今後も日本最多量産機関車として記録に残り続ける可能性が大きい。海外向け[註1]には台湾37両、ソ連(当時)30両、韓国(国連軍向け標準軌仕様)2両が製造された。脱稿日現在、JR東のD51 498第9話でご紹介したオリエント急行の日本訪問時の牽引機が復籍後初仕業だった)、JR西のD51 200(やまぐち号の牽引機)、台湾鐵路管理局DT668の3機が動態だ。

[註1] ファンタジーの世界ではD51は英国ソドー島にも輸出された。ノース・ウェスタン鉄道車体番号「51」のヒロだ。ヒロは2014年に大井川鐡道にも登場したが、同社はD51を保有しない為、D51同様動輪4軸だが一回り小型の9600型が種車だ。


郷土博物館では日露がサハリン発見・開拓を競った歴史が見られる。
左上:間宮林蔵。下:北緯50度に設置されていた日露国境標石の両面。
島国の日本史上唯一の陸上国境で、2018年センター試験にも出題された。
Sakhalin for Japan/Russia has been the Alsace-Lorraine for Germany/France.

北海道とほぼ同面積のサハリンは日露せめぎ合いの最前線だ。江戸幕府・帝政ロシア間の日露和親条約では日露混住地、明治政府が結んだ樺太千島交換条約ではロシア領とされたが、日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南を日本が領有した。第二次大戦末期にソ連が奪還して全島を支配、ソ連崩壊後ロシア連邦に引き継がれ現在に至る。



左:ユジノサハリンスク駅のサハリン鉄道路線図(北が上になるよう回転)。サハリン州旗
(右上)は千島列島とV字形に表現されているが、実際は「レ」に近い。白枠内が北方4島。
右下:ガガーリン公園(王子製紙が整備したので同公園の池は王子が池と呼ばれた)の子供
鉄道。児童の交通教育・鉄道学校生の実技訓練・市民の観光利用と一石三鳥のミニ鉄道だ。
Bottom right: Children’s railway in Gagarin Park in Yuzhno-Sakhalinsk (hereinafter “Y-S”).

同島の鉄道網は日本が島南部の豊原を拠点に日本規格で建設が始まり、1945年にサハリンに渡ったD51は30両全てが国鉄在来線同様の狭軌仕様だ。この譲渡の性質は、資料によって通常の輸出とするもの(戦後初の鉄道輸出だった事になる)と、戦後賠償だったとするものとがある。真偽は知らないが、①敗戦で焦土化した日本が極端な物資・輸送力不足に喘ぐ中(窓も無いぼろぼろの焼け残り電車や貨車転用車まで寄せ集めて超満員で運転再開した頃だ)での貴重な新製機関車の大量輸出だった事②ソ連が戦後60万近い日本人をシベリアに長期抑留しその1割近い死者を出す強制労働を課した史実も考え合わせると、(仮に多少の対価の支払があったとしても)arm's lengthの通常取引というよりも戦勝国ソ連への賠償の趣旨が含まれていた可能性はあるだろう。



D51-4 is one of the 30 D51s exported to Sakhalin, then Soviet Union. The Sakhalin
version had many different features, mainly to cope with the bitterly cold winter.

2018年現在、D51-4はユジノサハリンスク駅構内で休車状態だ。ボイラー上部のシルエットは標準型[註2]だが、内地、特に関東以南のD51との外観上の違いは①主前照灯が深海魚の目のように巨大化②2灯付加した欧州式の3灯顔③足回りが赤塗りされ白線も入ったビジーな外観④先頭煙室扉を小型ハッチ付に交換⑤運転台は密閉式の寒冷地仕様、が見て取れる。遠望する限り腐食が進んでいる風でもなく、雨曝しの割には保存状態は良く、何らかのメンテはされているようだ。サハリンでは後述のように全線改軌工事中なので、広軌改造という大手術をしてまで復活させてくれるか疑問だが、日本からの観光客の目玉にはなり得るので「処分保留」という印象を受けた。

[註2] 製造数の多いD51には色々なタイプがあるが、外観上の大きな区別は煙突後方の覆いの有無・形状で、ボイラー上の砂箱までを繋げたナメクジや運転台まで伸ばしたちょっとやり過ぎのスーパーナメクジが鉄道愛好家の間では有名だが、対ソ輸出版はこのような覆いが無くボイラー上が凸凹した基本形だ。


Top: In its last days, D51-4 towed a nostalgic train “RETRO”.

サハリンのD51は1971年に定期運用を離脱したが、2000年代半ば迄D51-4牽引の観光列車レトロРЕТРО号が主にユジノサハリンスク~ホルムスク[註3]間で運転されていた。同区間はサハリン南部を横断し、冬季は時に流氷に閉ざされるオホーツク海側と日本海側の不凍港を結んだ。宝台ループ線(日本時代の呼称)を含む山岳路線はソ連で最も美しい鉄道路線と言われたそうだが、1973年のホルムスク~ワニノ鉄道連絡船就航後、大陸の大型車両が乗入可能な新線が建設された為に閑散化し、1996年に廃線となった。上:ループ下を走るレトロ号(ユジノサハリンスク駅展示写真を撮影)で、この一帯は1945年8月の日ソ激戦地で背後の橋は悪魔の橋Чёртов мостと呼ばれる。日本軍は相当頑張ったのだろう。

[註3] 旧・真岡。真岡駅は中国・大連駅(現存)と並び、上野駅をモデルとした駅舎が造られたが、老朽化により1992年に撤去された。


As opposed to the D51-4 still on track, D51-22 is displayed in a small park in front of the Y-S station.

D51-22はユジノサハリンスク駅前に展示されている。些事で恐縮だが、車銘板には国内仕様と異なりD51と22の間にハイフンが入る。キリル文字でД51とせずにD51としたのは、「外車」であるとの意識があったからか。 上:後方の「RZD」はロシア鉄道の略だ。サハリンに渡ったD51のうち6両が帰国し、ロシア式大目玉のままの姿で別海町等で保存されている。



上:スターリン時代のD51-22。右下:D51-22運転台脇に残るソ連のマーク。
There was a small exhibition on the history of the railway in Sakhalin in Y-S station. Top: D51-22
bearing (probably) red star and the photo of Joseph Stalin. Bottom right: D51-22 with the USSR-logo.

ユジノサハリンスク駅の構内展示では、先頭に共産主義のシンボル・赤い星のマークとスターリンの肖像画を掲げたD51-22の写真もあった。スターリンはサハリン全島と千島列島のソ連領有を連合国と合意したヤルタ協定から更に踏み込み、北海道の留萌・釧路ライン(両市を含む)以北もソ連領とする事をトルーマン米大統領に要求したが、幸いにも拒絶された。もしトルーマンがこれを呑んでいれば、日本は独・韓に続く分断国家の悲哀を味わう事になり、このD51-22のように赤い星を掲げた機関車が日本を走り回っていただろう。日本が無条件降伏したのにソ連が大軍で樺太に攻め込んだのは北海道侵攻の準備だったという説がある。



後位妻面には「JR東日本」「新潟鉄工所 昭和39年」の銘が残っていた。東海道
新幹線初代0系同様、第1回東京オリンピックの年生まれの54歳だ。前者の
銘が比較的新しいのは、「日本国有鉄道」から張り替えた歴史の足跡だ。
A series kiha 58 diesel car is displayed at the Museum of History of the Sakhalin Rail-
road. Kiha 58 was a popular diesel train in the 1960s. In 1993 29 units were transferred
from JR East free of charge to Russia in turmoil after the collapse of USSR in 1991.

2004年開館のサハリン鉄道歴史博物館には、1993~2000年に近郊列車として使われたК-1ことキハ58が展示されていた。1991年のソ連崩壊直後の混乱期にJR東日本が29両を無償譲渡したものだ。日本では良く「急行」表示のままだった行先表示には「Южно-Сахалинскユジノサハリンスク」と書かれていたが、隣に「架線注意」の日本語表示が塗り潰されずに残っていた。国鉄時代、急行型気動車の代名詞だったキハ58は1800両以上も量産され、日本全国で見る事ができた。営業運転が確認された輸出先には、他にタイとミャンマーがある。動態保存もなされ、関東ではいすみ鉄道が姉妹車キハ28を原色に戻し日本の原風景的のどかな路線を走らせている。



上:ロシア客車とキハ58のツーショット。中左:千葉県いすみ
鉄道で余生を過ごすオリジナル国鉄気動車急行色のキハ28。
Middle and bottom right: RZD color scheme painted also on the stairs and poles.

同博物館には、他にも日本製ラッセル車「ワジマ」やクレーン車、トンネル拡幅工事の模型、ドイツ製大型除雪車等が展示されている。面格子のデザインはイデオロギー形(左下)だけでなく、鉄博らしいもの(下中)もあった。電柱(右下)[註4]や階段(中)にまでRZDのシンボルカラー(灰色濃淡+赤)を塗る目的不明の膨大な作業に、全体主義的な癖がまだ残っている印象を受けた。博物館は事前に連絡を入れる必要があるようで、試しにアポなしで訪れたら開館時間内でも入れなかった。

[註4] 第9話でご紹介したシベリア鉄道東端区間(ウラジオストク空港~ウラジオストク駅)では架線柱も標識柱も全てRZD色に塗られており、この情熱はどこから来て誰に見せるのかと呆れる思いだった。


上:ユジノサハリンスク駅。ВОКЗАЛヴァクザルは「駅」の意味。
モスクワ時刻も表示されていたが、首都との時差は8時間もある。
Top: Clocks at the entrance of the Y-S station show 8-
hour time difference between Y-S and the Russian capital.

ユジノサハリンスク駅構内でサハリン鉄道史の展示があった。富士重工業製Д2形気動車(上から2枚目、1985年〜)は顔は手抜きだが、流氷を背景にすると絵になる。左中:日本車両製2100形流線形気動車は、窓一つ分客室が荷物室になった以外は大分交通キハ105形と瓜二つだ。車内にストーブがあったという。駅は島式ホーム+駅舎に接した単式ホームから成る3線式で、前号でご紹介したウランバートル駅と同じだ。交通量の少ない地方中核駅のソ連時代の標準形だったのかもしれない。駅前にはウラル以東最大というレーニン像が立つ。東欧では民主化後レーニン像は一斉に撤去されたが、ロシアではソ連崩壊後も多く残っている。下:発車する前2両はトマリ(旧・泊居)行各停、後ろの長い列車はノグリキ行夜行サハリン号だ。小説「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治が鉄道で樺太を旅した時に着想を得たというが、寝台車(前号のMECT36と同型のようだ)から星空を眺め「銀河鉄道の夜」を愉しむ事ができる。





中:緊急時脱出用のハンマーは欧州規格だ。日本の鉄道もここは見習って欲しい。中右:
フック数の多さが寒冷地の衣服事情を物語っている。下:チャイ(紅茶)好きのロシア人に
とってサモワールは必須で、発車早々から100℃になっていて傍では放射熱で暑い程だ。
A typical Russian style mid-distance coach with samovar, a “must” for Russians who love “chai”.

始発駅で車掌が手摺を拭き、ステップを手動開閉、黄色い手旗で安全確認、車両端のサモワール、窓の下半分だけのレースのカーテン、全てモンゴルや5年前に乗った聖ペテルブルグ発ペトロザヴォーツク行ローカル列車と同じだった。ソ連時代の規格が旧ソ連圏で広く残っているようだ。広幅車体(後述)なのに中距離客車の座席配置は2+2の60席でゆったりしている。中左:客室端に車掌室とは別にカーテンで区分可能な座席が2席あった。モノクラスなのでVIP乗車時用なのだろうか。下:中央通路式開放座席車だが、車端部の通路はやや片側に寄り、広い側に車掌室とトイレを、狭い側にサモワールを設置していた。



機関車全体と客車の台車部分は狭軌、客車の車体のみ大陸サイズという凸凹コンビの
トマリ行が、 ドリンスク駅 を発車する。思った程の不安定感は無く、ゆっくり走れば
大丈夫そうだ。 背景の煙突は旧王子製紙の工場の廃墟。
The narrow 1,067mm-gauge of the railway in Sakhalin is the same as the conventional lines
in Japan who started to build the rail network in Sakhalin. Since 1973 when train ferry connected
Vanino on the continent and Kholmsk in Sakhalin, old narrow- body coaches have been replaced by
the wide-body coaches from the continent, that were combined with narrow-gauge bogies.

牽引機はD51を駆逐しサハリンの無煙化に貢献した旧ソ連製2車体8軸のТГ(G)16形ディーゼル機関車だ。1973 年のワニノ航路開設後、大陸の大型客車を航送して狭軌台車に履き替えて老朽化した日本製狭幅客車を淘汰した。大陸ロシアの軌間は日本の新幹線や西欧の1435mmより更に広い1520mmなので、ロシア規格の大型車体を1067mm幅の小台車に載せるという荒業だ。機関車は狭軌規格、客車の車体は広軌規格なので、日本でマンモス機と呼ばれたEH10より更に一回り大きいТГ16が小さく見える。現在サハリンの鉄道全線で広軌化工事中なので、大型客車+狭軌台車という不安定な組み合わせは2020年の広軌化完了迄の暫定措置だろう。



The Siberian Times 2017年9月17日号より引用。下:青線はシベリア鉄道とワニノ~ホルムスク航路。
赤の点線は間宮海峡と宗谷海峡を結ぶ案だが、あくまで概念図でサハリン島の現路線はもう少し東寄りだ。
Re-gauging construction work from the current 1,067mm to the continental 1,520mm is now going on. Russia
further plans to connect Sakhalin to the Eurasian continent as well as to Japan by way of undersea tunnel or bridge.

第9話でもご紹介したが、現在ロシアは極東のインフラ開発に注力している。ソ連時代から存在した間宮海峡最狭部(僅か7.3km)に海底トンネルか橋を建設してサハリンとユーラシア大陸を結ぶ計画が再始動し、プーチン大統領は更に宗谷海峡にも海底トンネルを通して稚内と結ぶ提案を行った。資金・軌間・電化方式等の問題を解決してもしこれが実現すると、第二シベリア鉄道(バイカル・アムール(BAM)鉄道)は更に青函トンネルを介して東京に繋がり、シベリア鉄道経由で日露欧の大物流ルートができる。ロシアの極東開発に弾みがつくし、日本から見ても海路に比べ大幅な速達化が可能なうえ、政治的に不安定なホルムズ海峡や、武装海賊が徘徊するソマリア沖を回避できるバイパスとしても有望ルートだ。閑散路線しかないサハリン全土の改軌という、費用対効果が一見見合わない巨大プロジェクトは、そこまで視野に入れていると見るべきだろう。



下:共産主義者大通りКомммунистический Проспектに面した
軍の建物には、レーニン像の背後に膨大な 数の退役戦車が南を向いてずらりと並んでいた。
同じ革命広場駅でもパリでは人権宣言をモティーフに しているのに対してモスクワのそれは
武装兵の像が林立
する。司馬遼太郎は「坂の上の雲」の中でロシアの統治には武威が
重要と述べているが、ロシアでは戦車が展示されている武張った公園が少なくない。
Bottom: In Russia there are many parks and public facilities in which military tanks are displayed.

開発大いに結構だが、鉄道は戦時には一瞬で兵器に変貌し得るので慎重さも必要だ。ドイツ統一戦争でプロイセン王国は鉄道を予めバイエルン王国境まで敷設し開戦と同時に大軍の高速展開に成功したし、スペインは隣国フランスから大軍が鉄道で殺到しないよう敢えて隣国と別軌間としたし、第二次大戦末期ドイツ降伏後在欧ソ連軍の満州への高速移動もシベリア鉄道が可能にした。そして関東軍が逃げ去った後取り残された多くの日本民間人には、膨大な数のソ連兵による、日本人が外国人から受けた史上最悪の略奪暴行の運命が待っていた。上:郷土博物館に展示中のソ連軍侵攻ルート。



豊原神社跡地は樺太上陸戦で落命したソ連軍将兵を称える栄光広場となっている(左上)。本殿跡
にはソ連軍将校の銅像が立ち(右上)、唯一残った校倉造り風の宝物殿は倉庫になっていた(下)。
Toyohara Shrine has been torn down by the Soviets and converted to a park. The only
remaining building (bottom) was the treasure house which is now used as a warehouse.

隣国間の戦時の非違を永遠に叫び続けては建設的な未来は築けないが、逆に健忘症では歴史は繰り返しかねない。冷めた目で事実を検証し、記録し、再発防止策を取ったうえで未来志向の関係を築くべきだろう。普段は気のいいおじさんも、戦時は豹変するのだ。日本の無条件降伏の1週間後、樺太から脱出した日本の民間人を満載したフェリー、小笠原丸[註5]・第二号新興丸・泰東丸の3隻をソ連の潜水艦が撃沈し、海面に浮いた生存客(主に婦女子)の機銃掃射迄行って1700名以上を殺戮する(三船殉難事件)神経は、平時では考えられない。間宮海峡が繋がればサハリンを大陸の戦車部隊で埋め尽くす事ができる。北海道に野心を示した事のある国を北海道と直結する宗谷海峡トンネル建設案は、時期尚早に一票だ。

[註5] 樺太からの日本への脱出最終便となった小笠原丸の乗客には、北樺太に入植しロシア革命後南樺太に亡命したウクライナの元コサック騎兵を父に持ちロシア名をイヴァーン・ボリシュコІван Боришкоという目元涼しいハーフの少年とその母親もいた。稚内経由で小樽に向かっていた小笠原丸は留萌沖で撃沈されたが、この母子は母が体調を崩し稚内で途中下船して文字通り九死に一生を得た。この少年が後の不世出の名横綱、大鵬だ。


Sakhalin Home Country Museum, built by Japan in an imperial crown style which
employs the design of samurai’s castles in Japan, is full of interesting exhibitions.

九段会館のように現代建築に城郭風の屋根を載せた帝冠様式のサハリン州郷土博物館(旧・樺太庁博物館)の鬼瓦は何と桃の紋だった。まさか樺太を鬼ヶ島に見立てて鬼退治をする桃太郎に喩えた訳ではあるまいが、「色丹土人共同財産保管簿」と原住民を土人[註6]呼ばわりする斜古丹村役場の資料を見ると、或いはと思ってしまう。菊の御紋とВХОД(入口)というロシア語が並ぶ立派な門を入ると、格子天井の立派な館内には興味深い資料が多い。多くは対日戦勝利の記録だが、日本軍が粗末な兵器と軍服でソ連軍と対峙しなければならなかった様子がわかる。日本統治時代の資料はソ連崩壊後に展示が許可された。装甲列車の珍しい動画も上映されていた。庭には「士」と書かれた小さな旧日本軍戦車が、鹵獲品として展示されている。

[註6] この資料の3年前の大正9年版「大字典」(啓成社)では土人の第二語義は「野蠻の民」だった由。「蠻」は「蛮」の旧字なので、土人は当時から差別用語だった事になる。


銅像同様、ロシアでは東欧諸国と異なりソ連時代のイデオロギー装飾が数多く残る。例えばサハリ
ン州裁判所(下)ではロシア国旗の下の彫刻は共産主義のシンボルが地球を覆うソ連時代のままだ。
Top: ”Eco Taxi” uses natural gas as the power. Tablets are used as taxi meters – a cost efficient idea. Bottom: As
opposed to in Eastern Europe, in Russia the symbols of communism and the statutes of Lenin can still be seen.

エコタクシーなるものに乗った。ガス資源豊富なサハリンらしい天然ガス駆動車だ。給ガス中(左上)は全員車外で待たなければならない。サハリン2プロジェクトには欧米企業も多数参加しているが欧米への直行便が無い為、週2便ある成田直行便は成田乗継の欧米人乗客も多い。タクシーメーターは着脱可能式タブレットで(右上)これは名案だ。中左:途中通過したソコルСоколの集落。1983年に乗員乗客269名を乗せた大韓航空のB747を撃墜したソ連軍のスホイ15はここの旧・大谷飛行場から出撃した。中右:ドリンスクの草深い一角に、旧落合尋常小学校の奉安殿の廃墟があった。



中左:参道の石まで剥がされていた。おそらく近辺の道路か建物の一部になっているのだろう。
右下:鳥居の柱の意外な新しさが、ここが日本領だったのがまだ最近だった事を実感させる。
Remains of the East Shiroura Shrine in Vzmorje, known for crab fishing.

ドリンスクから更に車で1時間オホーツク海沿いに北上するとヴズモーリエという小集落があり、蟹が水揚げされると駅前で立ち売りされる。タクシーの運転手も知らない悪路に分け入ると、海に面した丘の雑草の中に旧・東白浦神社の鳥居がぽつんと佇んでいた。辺りの叢を探すと、礎石のようなものが草葉の陰に白々と残っていた。原野に帰した神社と、白骨化したかのような日本の痕跡 ー 朽ちた自由の女神像の半身が砂浜から突き出ている半世紀前の名画「猿の惑星」初回作のラストシーンを、なぜか思い出した。

 

準急ユーラシア、次はジェノヴァに停車する。


Next Stop of the Trans Eurasian Express: Genova (I)
Expected arrival: February 2019
(2018年11月 / November 2018)
 
 
     
  H.I.S. London TOPページに戻る  
 
本連載の画像・音声・動画は引用注記の無い限り筆者が撮影・録音。
資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
このページに関するご意見・ご感想・ご質問は
まで
 
     
 
コンピュータに動画用プログラムがインストールされていない場合はこちらからダウンロードできます。
 

 
   
 
 
     
 
Go to H.I.S.
H.I.S. London H.I.S. Wien
H.I.S. Zürich H.I.S. Cairo
H.I.S. Germany H.I.S. Amsterdam
H.I.S. Spain H.I.S. Italy
H.I.S. Turkey H.I.S. Moscow
       
H.I.S. London Blog
ロンドン雑学講座ブログ
 
相互リンクサイト
Railways in Germany
Social media