Trans Eurasia Express since 2002

 
is a quarterly articles series, now kindly hosted by H.I.S. London (until No.49 by H.I.S. Touristik Deutschland GmbH) on interesting trains and other means of transportation in Europe, Asia and other corners of the world, with technical, historical and cultural interests. All photographs, sounds and videos are taken by the author unless otherwise expressly mentioned.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
66. 大騎馬帝国の末裔の国の大草原の交通情景

ー 風と雲と馬と ー
Means of Transport in Mongolia 2018
今回の取材地: モンゴル


The international airport of the Mongolian capital is named after the historical hero
who founded the Great Mongolian Empire and has become the first Great Khan.

正味3日のささやかな夏季休暇の合間に瞥見したモンゴルの交通機関の印象をまとめてみた。中央の馬のマークのウィングレット以外は英雄チンギス汗の名を冠した首都空港名を3種類の文字で表した空港の看板で、モンゴル国旗風にアレンジして遊んでみた。中左右の縦文字は、チンギス汗がウイグル人捕虜の献言を容れて採用したウイグル文字を、モンゴル語の発音に合うようローカライズしたモンゴル文字だ。上は社会主義時代に旧ソ連から導入されたキリル文字で、ロシア語のそれより母音が2つ増えた。中央アジア起源のモンゴル文字、ギリシャ起源・ロシア経由のキリル文字、イタリア起源のラテン文字が、大ユーラシアをそれぞれ伝播して21世紀のモンゴルで集合している様子に、悠久の歴史が凝縮されているようだ。



右下:チンギス汗空港の管制塔は寺院建築風で味がある。
Asashōryū, a former sumo wrestler hero and who was one of the strongest Yokozuna-champions
in the history, happened to be a co-passenger on the flight to Ulaanbaatar. Mongolia is famous
for Bökh-wrestling and Asashōryū became a champion thereof when he was a boy.

日蒙間はモンゴル航空MIATがウランバートル~成田間を週6日7便を飛ばしている。搭乗機は「空の国鉄103系」的ベストセラー機B737、機内は標準的な近・中距離仕様だった。偶然通路を挟んだ反対側に朝青龍関が乗っており、乗り合わせた乗客達と気さくに撮影に応じてくれた。彼の現役時代は取組直前の気合の入れ方が好きだったが、今はすっかり青年実業家という印象だった。上:搭乗機はモンゴル帝国第三代皇帝の名に因んでグユク汗号と命名されていた。グユクの甥が西は東欧から東は朝鮮半島まで史上最大の版図を広げた五代皇帝フビライ(クビライ)汗だ。初代皇帝チンギス汗(グユクの祖父)の名称を与えられた首都空港の背後には、帝国の騎馬軍団が疾駆したであろう草原に覆われた丘陵が重畳と続く。MIATのロゴも馬だ。

 
1 プリウスの群れ
 

ウランバートルの路上は日本車と韓国車の天下だった。トヨタ・プリウスが特に目立った。現地では「タクシーの乗客が運転手に『プリウスとはどんな車か』と尋ねると、運転手は『プリウスのリアビューを見たければ前の車を見ろ。フロントビューを見たければ後ろの車を見ろ。車内を見たければこの車内を見ろ。』と答えた」というアネクドートすらあるという。実際、次の写真に写っている車は全てプリウスだ。人口密度が極端に低く(国土は日本の4倍なのに人口は41分の1)ガソリンスタンドも少ないから低燃費車の需要は高いとは思われるが、ハイブリッド車はもう珍しくなく、何が琴線に触れたのか興味深い。



上:遠景左側にモンゴル仏教界最高学府というガンダン・テクチェンリン寺が見える。
Due to reasons unknown (may be they look similar to a ger?), the roads
of Ulaanbaatar are occupied by Toyota Prius, especially Prius II.

日本の路上から消えた初代プリウスIはこんな所にいたが、プリウスIIが多かった。特に白のプリウスIIの丸っとしたシルエットは写真下背後のゲルに似ていなくも無い。何世紀も見続けた大草原と馬とゲルを原風景とするモンゴルの人々には、プリウスIIのずんぐり感はホーミーな安心感を与えるのかもしれない。しかし今最も経済的結びつきの強い隣国中国で自動車生産が本格化すれば、遠からずBYDのような中国車で溢れるようになるだろう。

手前のプリウスIIIのように鼻先に黒いネットをかけている車をしばしば見かけた。米国では撥ね石による傷を防ぐ為鼻先に黒いカバーを装着している車があるが、モンゴルの場合は虫がラジエーターに入るのを防ぐ為だという。

 
2 大草原の鉄道30分乗車体験
 

地元の鉄道に乗ってみた。観光ガイドブックにはほぼ情報が無かったが、UB Railfanというネット情報が参考になった。モンゴル語が読める方だと思われるが、現地の鉄道を良く研究しておられ、どこにも猛者がいるものだと感心した。旅行会社の方に無理を言って、ウランバートルУлаанбаатарからロシア国境直前のスフバートルСүхбаатарまでの379km(ほぼ東京~名古屋に相当)を行く長距離鈍行271列車(以下271レ)を予約して貰った。家族と一緒だったので30分・3駅に自主規制した為、車内を探検して回っていたら席を温める暇も無い慌ただしさだった。



右上:駅前の民家(固定建築とゲルの組み合わせ)から離し飼いの犬が警戒
して寄ってくると、ガイドさんから犬と目を合わせないよう注意を受けた。
Dawaani is the closest station from the famous HS Khaan Resort (middle left).

左上:駅のある小集落にも放牧中の馬が入り込んでいた。右上:駅と言っても駅員の詰所と低いホームがあるだけで、ベンチも時刻表も改札も無く、動物侵入防止用のクランク状の柵があるだけだった。山手線のように日中でも毎4分運転なら時刻表は不要だが、1日数往復しかない旅客列車に時刻表無しでどうやって列車に乗るのかとガイドさんに尋ねたら、電話で問い合わせるのではないかという自信の無い答えだった。鉄道はローカル輸送用には余り使われていない印象だった。中:左奥の丘陵上の白い点々はゲル風草原ホテル、HSハーンだ。このダヴァー二駅が最寄駅とはいえ、草原の悪路を車で約30分かかる。



下:緩やかな丘を下ってくる271レ。車体側面のコルゲート処理は共産圏
の客車の特色だった。機関車の正面窓にはモンゴル国旗が張られていた。
Local domestic train No. 271

以外にも、というと失礼だが、271レは定刻に来た。客車はホームより遥かに長い11両編成だが、中露を結ぶ国際列車には20両超の長大列車もあるそうだ。モンゴルの長距離客車には1等寝台2/4人部屋・2等寝台4人部屋・開放型寝台(実質3等)があり、271レはクーペкупеと呼ばれる2等寝台4人部屋と、開放型寝台の2クラス制(+郵便車)で、食堂車無しのワゴン販売方式だった。昼行の各駅停車とはいえ、全行程を乗ると9時間近い長旅なので純粋の座席車は無い。



Interior of the 2nd Class-sleeper which serves as the 1st class of the local train. All in Russian
style, like the half-sized curtains and samovars. As opposed to the West European
compartment cars, the whole structure is cost-oriented and, for example, the roof of the
corridor is flat as opposed to the round and spacious design of the DB (bottom below).

上:普通列車では1等扱いのクーペの通路と室内。MECT36という車両形式は定員36(4人用区分室 x 9室)を意味する(mectはロシア語で席・場所)。やや狭いが、各停にしては上出来だ。窓下半分のみのカーテン(下中)や、通路端のサモワール(湯沸し器、右下)もロシア式で、ロシアの影響の強さが随所に見られる。そういえば車体色もロシア国旗色だが、これは穿ち過ぎか。

区分室車(英:compartment coach, 独:Abteilwagen)は本家だった大陸欧州ではすっかり減ったが、東西で大きな違いがあった。西欧車が圧迫感緩和の為、通路の天井を丸く張り上げた(左下、ドイツ鉄道DBのAvmz系IC客車)のに対して、経済性に力点を置く東欧車は平天井(左上)だ。また西欧の昼行区分室車は採光と防犯の見地から通路との間はガラス戸という違いもある。



ゲームに興じたり寝たりと大半は長距離客という印象で、途中の小駅での乗降は僅かな高齢客だけだった。本数
の少なさと首都以外の過疎を考えれば、日常の足は車になり、鉄道は必然的に長距離輸送に特化するのだろう。
At this long-distance local train, open-style sleepers were used as the 2nd class coaches that can
accommodate 54 passengers if all spaces are used as beds, and 81 pax if all spaces are used as seats.

こちらは開放型寝台車MECT54/81型。全て寝台として使う場合は54台、全て座席として使えば81席という定員だ。枕木方向の寝台を縮めて稼いだ空間に別の寝台をレール方向に設置し、かなり複雑な構造だ。271レのような昼行列車でも座席数席分を買って寝台として使う事もできる(左上)。寝台利用に備えて車端部には毛布が山積みになっていた。



PC枕木化された軌道の保線状態は良好に見え、不愉快な揺れもなかった。 日本の国際協力機構
JICAもモンゴルの鉄道輸送力 整備に協力
している由だ。 この軌道にも我々の税金が貢献して
いるのかも しれないと思うと、少しは確定申告のし甲斐がある。

モンゴルの鉄道は蒙ソ(当時)折半出資で設立(従って軌間もロシアと同じ1520mm)されたウランバートル鉄道が運行し、その幹線がこの南北縦断線だ。貨物輸送が主体だが、旅客列車も集二線+モンゴル縦貫線+シベリア鉄道経由で北京~モスクワ7,826kmを結ぶ003/004(ロシア側呼称)・K3/4次(中国側呼称)列車のような花形列車もある。同列車はソ連崩壊直後の混乱期は車内の治安が悪化し、1993年には運転中の車内で多数のギャング団による強盗や強姦が10時間以上繰り返された、いわゆる中露列車大強盗事件が発生し映画にもなった(逮捕者だけで102名というから車内の惨状は推して知るべしだ)が、現在は治安も回復し多くの欧米観光客が利用しているという。



Conductors are busy – checking the fuels for the samovars, unfolding
and folding the steps at each station, checking the safety, et seq.

左上:デッキには薪の入った缶が置かれていた。サモワールの燃料用と思われた。上中右:駅では車掌がドア下の鉄板床を跳ね上げると、下に隠れていたステップが現れる。乗降が終わり、鉄板床を戻し安全を確認すると車掌が黄色い手旗を次々と横に突き出し、運転士は排ガスを威勢よく噴き上げて列車を発進させた。



A small station amid vast grassland. No roof, no timetable, no light – only
silence. Bottom left: the only entrance/exit is this small hole created in the barbed
fence along the track, in order to prevent the animals from crossing the rails.

下車した3駅目のパルチザンSAA[註1]駅は入手した鉄道路線図でもGoogle mapsでも省略ないし無視されていた。草原の中の単線脇に低いホームが一枚短く敷かれただけで、他には見事に何も無かった。駅名板すら無かった。271レが去ってしまうと、大草原を吹き渡る風の微かな低音以外は無音の静寂の中に居た。

軌道と草原とは鉄条網で隔てられているが、1か所だけ人が通れる穴が開いている(左下)。そこが出入口で、鉄条網で怪我をしないよう注意してくぐる。草原の中に放り出されてもどうしようもないので、ダヴァー二駅で別れた運転手さんに先回りして貰って宿に戻った。

[註1] Партизан САА - Партизан Сангийн Атж Ахой パルチザン・サンギーン・アッチ・アホイ(パルチザン繊維工場)の略
 
3 ウランバートル駅、モンゴル鉄博そしてスターリン 
 

271レは草原駅から草原駅まで乗っただけだったが、車でウランバートル駅にも立ち寄って貰った。同駅は島式ホームと駅舎に接した単式ホームから成る3線式のシンプルな構造だ。



Ulaanbaatar station in Soviet style

駅の外観も、星を組み込んだシンボルも、豪壮な構内も、典型的な旧ソ連風主要駅舎だ。右下:駅前に展示されている動輪5軸の巨大な旧式蒸機は、先頭部の地平面すれすれから一気に2m以上駆け上がる階段が印象的だった。ソ連時代の駅舎のイデオロギー装飾については第42話第50話を参照されたい。



右下:前掲UB Railfanによると、これはモスクワ⇔レニングラード(現・聖ペテルブルグ)間
を結ぶ旧ソ連時代からのロシアの看板列車、赤い矢号の牽引機だったというが、それがなぜ遥か
モンゴルで保存されているかは謎だ。モンゴルの人民に技術力を誇示したかったのだろうか。
Many old (meaning Soviet style) locomotives are displayed at the Ulaanbaatar Train
Museum. Locomotives wear plates of national emblem. Top left: under socialist regime
with many ideological icons; Top Right: the current emblem with traditional design.

駅西方の鉄道博物館では旧式機関車が6台展示されていた。なかなか美しい蒸機もあり、多くはモンゴルの国章を掲げていた。モンゴル人民共和国[註2]時代の国章は、モンゴルのシンボル・馬を中心に据えつつも、赤い星・麦(農業を象徴)・歯車(工業を象徴)とイデオロギー色満載だった(左上)。旭日模様も、旧ソ連時代の古い建物の窓の防犯用面格子で良く見かけるデザインだ。社会主義が放棄された現在の国章(右上)ではイデオロギー色は一掃された。ソ連時代製の旧型機が多く、スターリンの顔を掲げたDL(左下)や赤星付きSL(右下)が並ぶ。

[註2] スターリン時代のモンゴルは、何世紀も続いた遊牧生活を否定し定着農業化を強行しようとした政府に反対した大暴動が軍事鎮圧され、ラマ教寺院の破壊を拒否した首相と僧侶17,000名が処刑され修道院800が破壊された激動の時代だった(数字はWikipediaによる)が、後に遊牧生活も肯定され信教の自由も認められ、1992年には社会主義も放棄された。


Karakorum – the ancient walled capital of the Mongolian Empire now almost
returned to grassland except for the rampart and the Erdene Zuu monastery.

かつての世界帝国の帝都、カラコルム(ハルホリンХархорин)はモンゴル帝国第2代オゴディ汗が初代チンギス汗の軍事基地を首都に昇格させたもので、帝国内各地とジャムチ(駅伝)による高速交通網で結んだ。今日は城壁の外も内も草原に戻っているが、モンゴル現存最古(16世紀末)の寺院、エルデネ・ゾーは残っている。第5代クビライ汗が大都(現・北京)に遷都するまで首都だったが、同汗は遥か日本征服を試みた元寇でも有名だ。第1次日本攻撃(文永の役)後、北条時宗が石塁(蒙古防塁、一部現存)で固めた博多湾を再攻する(弘安の役)という愚を犯さず無防備な若狭湾辺りから上陸していれば、圧倒的な軍事力(兵力14万超、船舶4000超に多数の軍馬)で京都は忽ち陥落し蹂躙され、日本列島の少なくとも一部は元・高麗軍に長期占領され、その後の日本史は一変していただろう。今日の日本語も冒頭のようなモンゴル文字で書き、日本の寺もチベット仏教式にマニ車(左下)が回っていたかもしれないのだ(馬主体の高速交通の普及という改善はあったかも知れないが)。歴史にifは無いとは言うが、日露戦争と並んで日本史に深刻なifがあった瞬間だった。





Top left: A replica of VIP-passport also granted to Marco Polo issued by Yuan Dynasty then under
the reign of Kublai Khan who maximized the Mongolian territory and tried to conquer Japan twice.

左上:フビライ時代、ジャムチで用いられたVIP用パスポート、ゲレゲ(牌子パイザとも) [註3]のレプリカ。マルコ・ポーロもこれを得て無事ヴェネツィア共和国に戻ったという。右上:首都時代のカラコルムの模型。城郭内にも多数のゲルがあるのが面白い。右中:中央アジアの町では光塔(砂漠の灯台)があったが、こちらは大草原の光塔だったのかもしれない。これらは日本の協力で建設されたカラコルム博物館所蔵で、撮影券を買えば自由に撮影できる。

[註3] これは方形文字といい、クビライ汗の顧問だったチベット仏教の高僧パスパが、チベット文字を多くの言語圏に拡大を続ける帝国で広く用いられるよう汎用性を考えて改良したものだ。現在のモンゴルの文字は旧ソ連の影響下にあった頃に導入されキリル文字だが、これは元々ギリシャ正教の宣教師が正教をロシア等のスラブ世界に広める為に考案した為、ギリシャ文字に似ている。交通不便な昔、文字が遥か遠方にどう伝播したか、実に興味深い。
 
4 モンゴルの道① On-Road 
 

360°見渡す限りの草原の中の一本道のドライブは快適だ。しかし舗装状態が悪い箇所では突如減速して穴を避けるのはお隣ロシアの田舎道と同じだ。



Panoramic landscape in Mongolia

見渡す限りの大草原の上に青空が広がり遠方に天を圧する入道雲でも浮かんでいれば宮崎駿が好みそうな雄大で立体的な絵になるが、訪問時は無情の曇りだった。それでも同じ種類の花が草原を一面埋め尽くす様は壮観だった。黄色(上)と紫(次の組写真の上・遠方左手)の花の群生地にしばしば遭遇した。



Drive beyond the horizon far, far ahead. There are no traffic lights, but only the herds crossing the road
stop the cars from time to time. There are more horses in Mongolia than human population of 3 million.

放牧中の家畜が道をブロックする場面にしばしば遭遇した。何しろ人口(約300万)より馬(2016年で約364万頭)の方が多い国だ。交通不便な13世紀に独り元のみが世界帝国を築けたのも、馬を兵器として大量に制式採用した騎馬軍団の機動力に負うところが大きい。武器と人数が同じなら歩兵軍対騎馬軍では勝負にならない。日本では馬は将校用の贅沢品扱いで騎兵軍の概念が無く、維新後大陸の戦線に派兵された日本軍は、ユーラシアの大平原で鍛えられた敵の騎兵部隊に苦しめられた[註4]

[註4] 「坂の上の雲」によると、日本の戦史で騎兵の発想を採用して全軍騎行で長距離高速行軍をして大きな戦果を挙げたのは源義経(一の谷戦別動隊と屋島戦)と武田信玄くらいだという。そういえば作者の司馬遼太郎は大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)のモンゴル語学科卒だ。


These “ovoo”-stone heaps have dual functions, namely as altars to pray for safe journeys, and
as landmarks. In winter nomads eat much horse meat with high nutrition, and the remaining
sculls are dedicated on ovoos with respect to the dead horses. Blue scarfs symbolize sky spirit.

石を積み上げた標柱をオボーовоо(正確にはオヴォー)という。三周して道中の安全を祈る宗教(チベット仏教や山岳信仰)的意味や境界標識・道標等の機能を持ち、峠で良く見かける。ノモンハンで起きた日ソ国境紛争のきっかけもオボーだった。空の精霊を象徴する青布と、馬の頭骨が供えられている場合が多い。馬頭骨がごろごろ乗っている大オボーもあった。遊牧民は冬は栄養価の高い馬肉を良く食べ、そこで出た頭骨を馬への尊敬の念を込めて供えるそうだ。

 
5 モンゴルの道② Off-Road
 

悪路の移動も多かった。普通のミニバン利用だったが、大抵の車は固いタイヤを履いており悪路にも耐える由だった。ベンツが元々軍用に開発したゲレンデヴァーゲンGeländewagenという悪路走破性に優れた車があった。1990年代半ばの全モデル名変更でGクラスとなったが、GeländeのGだ。日本ではゲレンデはスキー滑降用斜面を指すが、元のドイツ語では広く不整地を指し、「不整地車」の意味だ。草原走行に備えて、モンゴルの四輪車は多かれ少なかれゲレンデヴァーゲン化しているようだ。



中:草原ルートは何条もの轍が血管のように複雑に絡み合っているが、
降雨等で通れなくなった際のパイパスが自然発生的に踏み固められた由。

上・中:峠でオボー休憩をしていたら後方から砂塵を上げて日本を代表するゲレンデヴァーゲンのランドクルーザーが追い付いてきて、小休止後すぐ発車して眼下の大平原に駆け下り、ミニバンより遥かに高速で草原の中を走り去っていった。大草原の特急と各停がオボーで緩急接続した感覚だった。下:轍すら草に覆われかけ、標識類も無く、どうしてここが道だと分かるのかという区間もあるが、運転手はナビもつけず自信に満ちて300余キロ先の目的地を目指して運転を続ける。



A short break at a pass near Karakorum – Many meaningful
routes are still unpaved and wild, but very beautiful.

これから走る未舗装路が眼下の茫漠とした大平原の中に伸び、そのまま空との境すら定かでない遥か地平線に消えていく。こんなだだっ広い大草原の中にガソリンスタンドがある筈もなく、交通量は極めて少なくロードサービスも厳しそうだ。ガス欠や故障の場合はどうするのだろうか。外国人が不用意にレンタカーをすれば、どこかの草むらで白骨になりかねない。

 
6 移動式住居・ゲル
 

モンゴル名物の移動式住居、ゲルは慣れれば1時間で組み立てられるそうで、草原を移動し続ける遊牧生活に不可欠だ。次の写真下:ゲルは饅頭型が主流だが、北蒙のゲルは尖ったテント型だ。北欧ラップランドのサーメ人のテントに似ているが、ストーブより強力な屋内焚火の排煙と天井への引火予防の見地から、寒冷地ではこの形が必然なのか。大草原の中を移動するので住所は無いが、今はGPSで現在地を把握し郵便も届くという。



中左:大陸性気候で夏でも夜は寒く、中央に薪ストーブがある。
中右:暑い日や降雨後は、ゲルの裾を捲り上げて換気する。
Some of the gers in tourist camps have personal toilets and showers, some not. In case
of the latter, the guests must use common toilets/showers in the main building. Now that
the tourist gers are connected to water supply, the original nature – the mobility – is gone.

現地では外国人旅行客が何を期待しているか心得ていて、カラコルムのような観光地近辺にはゲルを並べたツーリストキャンプが点在し、気軽にゲル体験ができる。ゲル内にトイレとシャワーは無く、中央棟の共同トイレ・シャワーを利用する方式が多い。ゲル2包をセットにして間に専用浴室小屋(内部は二区画に分かれている)を挟む方式もあり(予約時に指定可)、更には後述のように巨大ゲル内にトイレと浴室を完備したゲル風ホテルまで現れた。利便性は劇的に向上した反面、上下水道を引いて連結した時点でゲル本来の特色である移動性は失われ、観光客向け「なんちゃってゲル」となった。しかし、それで必要十分なのだ。

 
7 HSハーンとナーダム
 

ツーリストキャンプはゲル同士が離れていると非効率だし客も中央棟との往復に不便なので、中央棟を中心に騎馬軍団の陣地のように密集せざるを得ない。そこで、広々とした草原の中にぽつんと佇立する感覚と現代的快適さを両立したゲル風高級ホテルも現れた。その第一号が首都から車で1時間(従って夜間は漆黒の闇の中にウランバートル方面の上空だけがぼうっと低く光っている)の草原の中に造られたHSハーン・リゾートで、箱根の気の利いた旅館位の値段で泊まれる。



HS Khaan Resort Hotel, just one-hour drive from Ulaanbaatar, offers space (120㎡ per ger),
modern comfort, and the vast “green ocean”-view just in front of the ger-style rooms.

丘の中腹の上段に6包(もはや棟というべきか)、下段に20包の巨大ゲルがゆったり並び、窓から他のゲルがなるべく見えないよう配置されている。レストラン等のある中央棟と宿泊ゲルの間は車で無料送迎してくれるので、多少遠くても眼前に草原しか見えない下段がお勧めだ。玄関室用のミニゲルも連結した内部は120㎡もあり、ゲル中央の湯舟に浸かりながら大きな窓を通してグリーン・オーシャン・ビューを楽しめる。周囲を草原で囲まれ、レンタカーも非現実的なので、1島1宿のモルジブ的一点滞在型リゾートだ。右下:偶然HSハーンの上空を通った搭乗機からは、ナーダム(後述)の競馬のゴール地点(2つの円形の間)も見えた。

 
8 馬
 

ナーダムНаадамはモンゴル相撲(冒頭の朝青龍はこの少年の部で優勝歴がある)・競馬・弓射の3種目で競われる国民行事だ。ユネスコの無形文化遺産にも登録され、2007年には日本の皇太子殿下も開会式に出席された。前掲のパルチザンSAA駅がある小集落の村役場前には、血管まで正確に再現された逞しい馬の立像があった。普通の騎馬像は馬の上に偉人の像があるものだが、この像は人がいない。これはこの一帯から出たナーダム入賞馬を称える像なのだ(そもそも騎手は軽い子供だ)。台のヒエログラフのようなものはこの一帯の放牧主の焼印だという。モンゴル社会における馬の存在の大きさを改めて実感した。



下:進路にいる家族を守ろうとしたのか、気の荒そうな馬が車に
向かって来たが、衝突前に賢明にもチキンゲームを自ら降りた。
A statute of a horse without a jockey, built in commemoration of a championship of the
horse from this region at horse racing section of the Naadam, the traditional sports festival.

道路からHSハーンまでは暫く草原を走る必要があるが、途中に湿地帯がある。最終日前日、この湿地帯を慎重に通過中、ガイドさんから今夜も雨だと明日は走行不可となり遠回りが必要になると説明された。夜は果たして雨だったので、飛行機に乗り遅れないよう出発時間を早めねばと考えていたら、旅行会社からピックアップ時間を逆に遅らすという連絡があった。怪訝に思ったが、最終日未明、回送されてきたのはトヨタ・ランドクルーザーだった(左下)。ランクルは昨日までのミニバンとは打って変わって不整地をドカンドカンと猛スピードで走り、冠水した問題の湿地も一気に突っ込んで駆け抜け、楽々と空港に早着した。このオフロード・エクスプレスこそ現代の駿馬だった。

 

準急ユーラシア、次はユジノサハリンスクに停車する。


Next Stop of the Trans Eurasian Express: Yuzhno-Sakhalinsk (RUS)
Expected arrival: November 2018
(2018年8月 / August 2018)
 
 
     
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資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
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